白鳥城の騒霊

【白鳥城の騒霊】俺たちのサッカーとは何か? ~四つの「俺」をつなげ「ひとつになる」アルビスタイルの構築を次期監督に期待する~

12月5日の新潟日報のコラムでは、アルビOBで今はアルビのJrコーチの内田潤氏は「アルビらしさ」をこう語ってます。

「可能な限り前からボールを奪いにいく。はがされて、いなされもするけど、誰一人あきらめない。奪ったところから、シュートカウンター、ゴール前になだれこむイメージ」

つまり、選手たちの中にも、クラブの育成担当者の中にも、ある程度のアルビ像は出来上がっているわけです。 騒霊みたいな素人サポでもアルビスタイルのメルクマールは、2013年のヤンツーアルビのころのサッカーだと信じていますからね。 むしろなんで呂比須さんみたいなアルビスタイルを理解してない監督を連れてきて、チームを立て直そうと考えたのか? そこら辺のことについては、呂比須監督の就任序盤の段階で、選手たちの戸惑いの声が上がっていたとのことでした。

就任して初練習を行った5月16日、呂比須監督は厳しくボールを奪い合うことを要求した。試合形式でも最前線からプレスをかけて、カウンターを提唱。本来の「新潟スタイル」だった。それが翌17日に大きく変わる。「プレスをかけるな。自陣に引いて中盤と最終ラインでブロックをつくれ」。その陣形で相手がボールを入れてきた想定での守備を繰り返した。今季で引退したMF本間勲(36)は「前日からの変化に正直、戸惑った」と言う。

すべてが終わって当時を振り返るみたいな話を聞き改めて考えてみると。 こういうアルビの根幹といえるイデオロギーである「アルビスタイル」を理解していない監督を連れてきてそういう監督にチームを任せたところに、そもそもの間違いがあるようです。   なんとなくサポという枠外から見ていても明らかだった違和感。第二の「俺」である選手の中にも、第三の「俺」である育成コーチの中にも、第四の「俺」であるサポーターの中にも、おいおいこの監督は今までのアルビスタイルではないぞ??と少なくない「俺」たちがあのころ疑問を持ったはずです。   当時、ある大敗した試合のあと、キャプテンだった大野和成が「こんな時こそ、みんなひとつにならなきゃいけない」と必死にサポや選手に訴えていましたが。今から当時を振り返ってみると、そもそも論のところで「ひとつ」の中心であるべき監督が、「俺たち」という大きな「ひとつ」を目指していなかった。 監督である呂比須氏は、明らかに「アルビのサッカー」の追求ではなく、自分がブラジルでやってきた「呂比須のサッカー」を追求していた。もちろんバランス次第なので、それが問題のすべてではありません。でも最後は結果ですからね。「16戦連続勝ちなし」というアルビ史上初の不名誉記録まで作り上げて、それでも「呂比須のサッカー」に間違いはなかったなんて誰も言えないでしょう。   当時大敗した試合後に、キャプテンだった大野は「ひとつになろう」と選手やサポに言い続けてました。でも実際はチームの中は同床異夢です。監督は好き放題やってたし。強化部長は、好き放題やる監督を連れてきて好き放題させていた。 そもそも論とするならば、現場フロントのリーダーである強化部長は、アルビの長中期のビジョンを作って、ビジョンに基づいて、ビジョンを現実に肉付けしてくれる監督を連れてくる。監督はチームのビジョンを理解し、チームの歴史を理解し、チームが積み重ねてきた土壌に、これまで足りてなかった肥料をまき土壌改良して、作物のように種を植え、作物のように育て、作物のように収穫するのが、監督の役目であるはずなのに。。。   編成責任者である強化部長も「俺たちのサッカー」を作ろうとする姿勢が見られず、監督も「俺」のサッカーに終始してしまっていた。 第一の「俺」である監督と第三の「俺」である強化部長の見てる方向と、第二の「俺」である選手たちと第三の「俺」である育成担当と第四の「俺」であるサポ。結果として「俺たち」には意識の分断が存在してて、「ひとつ」にならなかった。 「俺たち」というアルビの集団意思は、ラストの数試合を除いて、ほぼ一年を通じてベクトルが一つにまとまることはなかったという訳です。   そしてアルビは、15年ぶりのJ2降格となりました。

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  • posted by 騒霊
  • 2017/12/07 18:27

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