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ジャイアンツ 原辰徳 「若大将」から「総大将」へ。

1995年10月8日。

通算382本目の放物線を置き土産に「背番号8」が伝統のユニホームを脱いだ。

背負い続けてきたものを「聖域」と称し「夢の続き」を満員のファンに約束し、彼はグラウンドを後にした。

甲子園のアイドル。 大学野球のスーパースター。

父に甲子園優勝監督を持ち、名門東海大相模高校で「親子鷹」として甲子園を湧かせた。 大学野球でもその打棒はとどまることを知らず、彼は念願かなって憧れのジャイアンツに入団する。

時代の寵児。

プロ野球が国民的娯楽だった時代。

長嶋茂雄・王貞治と言う国民的スターの「後継者」として、彼は華々しくデビューした。 MVPを獲得したプロ3年目のジャイアンツ戦の年間平均視聴率は27.1%。

プロ野球の枠だけではない、ある意味彼はその時代において、もっとも「数字」をとれるスーパースターだった。

左翼へ45°の角度で綺麗に舞い上がる放物線。 ダイナミックなサードの守備。

甘いマスクだけでなく「ON」の後継者として、最高に「カッコイイ」背番号8を人は「若大将」と呼んだ。

ただ、そこからの彼の野球人生は順風満帆とはいかなかった。

「宿敵」津田恒美との死闘で負った左手首有鉤骨の骨折、アキレス腱にも爆弾を抱えた彼は、その大きすぎる期待と思うようにならない身体の狭間で自らが「聖域」と称した「ジャイアンツの4番」を守り続ける。

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  • posted by Gファン歴26年
  • 2014/06/24 14:47

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コメント(8)

ジャイアンツ 原辰徳 「若大将」から「総大将」へ。

初めまして
あの・・・
原監督の日本一は2002、2009、2012と3回ですよ

posted by taku10328i
コメント投稿者ID:taku10328i
2014/06/24 16:18
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ジャイアンツ 原辰徳 「若大将」から「総大将」へ。

taku10328iさん

ご指摘ありがとうございます。

ファン失格ですね(汗)
本文修正しておきました!

posted by 管理人です。
コメント投稿者ID:gloves
2014/06/24 16:30
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ジャイアンツ 原辰徳 「若大将」から「総大将」へ。

はじめまして。

思わず懐かしくなって、拝見した後、久しぶりに「3本のホームラン」を見返してしまいました(汗)。
https://www.youtube.com/watch?v=lHaireqXM8c
https://www.youtube.com/watch?v=sH8nK2xAbIg
https://www.youtube.com/watch?v=6mhrcJiUbp0

選手としての晩年は苦労も多かったことと思いますが、それだけに胸のすくような、若大将・原辰徳らしい一発だったと思います!
夢の続き、しかと見届けたいと思います!!

posted by kagurazaka
コメント投稿者ID:kagurazaka
2014/06/24 21:20
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ジャイアンツ 原辰徳 「若大将」から「総大将」へ。

kagurazaka さん

コメントありがとうございます。

・・・この3本はやっぱり格別ですよね!

「夢の続き」が「何」を示すものなのか。
これは彼と時間を共有してきたファン各々の胸の内で思い描ければ良いのかな・・・と思います。

まだ先の事とは思いますが、彼がユニホームを脱いだ時・・・その「夢」を彼の野球人生に重ねて振り返る・・・そこで初めてわかるのかな・・・とも思ったりします。

私にとっても子供の頃の憧れの存在。
そして大人になった今では本当に色々と学ばせてもらえる存在です。

彼と同じ時代に生きた幸運を誇りたいと思います。

posted by 管理人です。
コメント投稿者ID:gloves
2014/06/25 02:46
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ジャイアンツ 原辰徳 「若大将」から「総大将」へ。

こんばんは(^_^)

自分がジャイアンツファンになったのって、81年からなんですよね・・だから自分のファンとしての歴史はそのまま原監督のジャイアンツでの歩みでもあって・・今回の記事はほんと読んでてすごく懐かい気持ちになりました。

選手のときはなかなかタイトルが取れなかったり、見ていて歯痒さを感じることもありましたが(それでも成績としては凄いですけどね)、監督になってからはほんと偉大な存在になりましたよね。

最近よく思うんですけど・・原監督って、選手としてONの後継者となることではなく、監督としてチームを勝利に導くことが”天命”だったのかも知れませんね。

十分過ぎるほどの実績を残してくれましたが、個人的に最後に望みたいことは、”次代の4番打者”を育てて欲しいことです。

エースは菅野が育ちつつありますが、野手となると・・阿部の後を担える選手って・・長野にしても坂本にしてももう少し成長が必要かなと・・

本当は大田にそうなって欲しかったんですが・・あと何年かは指揮されるでしょうから、なんとか見出してもらいたいですね。

posted by kosei
コメント投稿者ID:kosei
2014/06/24 21:44
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ジャイアンツ 原辰徳 「若大将」から「総大将」へ。

koseiさん

いつもコメントありがとうございます。

それは最近私も感じます。
もちろん選手としても歴代屈指の強打者でしたけれど、それ以上に監督としての存在感を感じる・・・そう思います。

失礼ながら、現役の時のイメージではこういう形の指揮官になるイメージは無かったですしね。

本人が「聖域」と名付けた「4番」の後継者。
「和製大砲」と言う存在が珍しくなった今、確かにその存在を見出す事が、原監督に残された大きな課題なのかも知れないですね。

今のジャイアンツの選手にその存在がいるのか、はたまたこれから入団してくる選手からなのかはわかりませんが、我々が子供の頃憧れた「背番号8」を凌駕するような存在を育ててもらいたいですね。

その選手の打席が残っている限り、どんな大差でも観客が席を立たないような・・・ね。

posted by 管理人です。
コメント投稿者ID:gloves
2014/06/25 02:54
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「ジャイアンツ 原辰徳 「若大将」から「総大将」へ。」へのコメント

神奈川県育ちの私が小学6年生の時に原さんは甲子園のスターでした。原さんがプロ野球に入団してからずっと応援していますが、手首の骨折がアスリートとしての最後だったと残念ながら思います。その後は4番を追われ、レギュラーも外され、辛い境遇も経験しましたが、だからこそ、今の采配が出来るのだと思います。私も年を重ね、部下を使う立場になると原さんの今の気持ちが、勝手ながら想像できます。現役選手達よ、歴代最強のチームを常に目指そうぜ。

posted by 堅厳
コメント投稿者ID:katagon128
2014/06/25 01:57
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ジャイアンツ 原辰徳 「若大将」から「総大将」へ。

堅厳さん

コメントありがとうございます。

確かにあの骨折は、本人が「原辰徳はあれで死んだ」と言うくらいの影響を及ぼしたみたいですからね。

でも、仰る通り「エリート」として順風満帆だった彼が、あれ以降の数々の「挫折」を味わった事が、今の「将」としての器に結びついている・・・そう思います。

ジャイアンツと言う特殊な球団において、その「王道」を歩んできた原監督。

このチームのあるべき姿を次代を担う選手達にしっかり植え付けてもらいたいですね。

posted by 管理人です。
コメント投稿者ID:gloves
2014/06/25 02:58
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