幕下相撲の知られざる世界

九州場所で巻き起こる、自然なコール。相撲文化の変質という現実に向き合え。

2年前、九州場所を観戦した時のこと。

稀勢の里がひどい相撲で敗れたことよりも、白鵬が栃煌山を相手に猫だましをしたことよりも、自由席の椅子が死ぬほど硬かったことよりも、適当に入ったうどん屋のごぼう天が旨かったことよりも驚いたことがあった。

そう。 力士に対するコールが、ごく自然に行われていたのだ。

九州場所をテレビで観戦していて、コールが起こるたびに私はいつも顔をしかめていた。少なくとも私の友人で、コールを肯定的に捉える人は誰も居ない。強硬に、論理的に肯定する人物が居たとしたら考えるところだと思うのだが、そういう気は起こらない。

理由を付ければ幾らでも否定できる。観戦約款で集団応援は禁じられている、この一言だけで全てが片付くし、それ以上コールを否定するための言葉を重ねることもないのではないかとも思う。

ただ、それでは自分を正当化するために表向きの理由を立てただけなので、私は逃げずに言いたい。単にコールという応援が相撲に合わないと感じているだけなのである。それだけのことなのだ。

大相撲には大相撲の独特の雰囲気がある。決してそれは高尚なものでも小難しいものでもない。先人達が築いた空気、粋の前に立つとコールは異物だ。異物であり、行儀が悪いことだからこそ、天覧相撲でコールは起きない。起こさせないし、起こすという発想が出てこない訳である。

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  • posted by nihiljapk
  • 2017/11/14 01:12

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